2013年10月24日

日記:2013年10月23日(水)

しばらく連絡を取っていなかった友人に、昨日メールをした。
今日、仕事が終わって携帯電話を見ると、着信履歴があった。

電話をもらっても、またメールを送るだけ、ということが多い。
こちらからかけ返すことは、ほとんどない。
向こうが望めば話す、という位置関係を保つ。

そんな私が、珍しく、電話をかけ返した。


こちらから先にメールを送った、というのもある。
以前、とてもお世話になった、というのもある。
でもたぶん、一番の理由は、
彼女が一時期、大島で暮らしていた、ということだろう。

わずか、半年だったか一年だったか、あるいは数か月だったか。
けれどその短い島暮らしの間に、私は彼女を訪ねた。
そして彼女が島でお世話になっている人々にもお会いした。

安否を気遣うほどの近しさが、ない。
ただ、気には、なる。

こういう距離感は、対処が難しい。


私はただ、彼女がどう感じているか、
それが気がかりだった。

彼女自身は本州に戻っている。だから無事だろう。
でももしかしたら、その後も交流が続いていたかもしれない。
彼女がひどく追い込まれているような、
そういう状況でないかどうか、それが心配だった。


電話をすると、留守電だった。
名乗り、電話のお礼を言って、「じゃあまたー」とだけ吹き込んだ。

…何が「また」、なんだか。

また電話ください、また電話します、またメールします、云々。
考え得るいくつかの選択肢から、ひとつを選び取ることを避けた。
私は私を許そうとしている。
また電話します、と言って、相手から先に電話が来たら、詫びてしまう、
そういう私に、縛りを与えまいとしている。
電話ください、と勝手に言って、相手が電話をくれないことに苛立ってしまう、
そういう私に、相手の行動を規制させまいとしている。
私は私を許そうとしている。
未来を開いたまま置いておこうとしている。
…良い流れだ。
何が「また」なんだ、という批判さえ思い浮かばなくなる頃には、
もう少し、私は私を好きになっているだろう。
私をこの世に置いても良いと思えるようになっているだろう。


朝の8時に電話をもらい、
夜の21時にかけ返した。
ほんの30分後、彼女から電話があった。

「はーい」
『やほー!』

相変わらずの、明るい声。

その裏にある悲しみを。
忘れることはできない。

(中略)

近況をいくつか、報告しあう。

『大島大変だねぇー』

彼女が言いだすまで、私は触れないでいた。
少しは、そういう配慮ができるようになったか。
良い流れだ。

「ああ、どうなってるかなぁと思って」
『まぁ、大丈夫でしょ。あはは』

それだけで、察する。
この件は…ここまでだ。


『来月あたり、また中華街行こうよ』
「おお、いいねぇ」

今は、今を。
かかってきた電話にかけ返さず、またかかってくることを待つように。
ただ私は、需要のぶんだけ、生きていたらいい。
ただ私を、置いてもらえる場所で、生きていたらいい。

そうして、いつか、
巡り巡って、
私の居たい場所に、需要ができたらいい。


その日まで。
今は、今を。
posted by わたなべ かおる at 00:53| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月17日

チャンスとは何か

「チャンスは鳥よ♪」

その言葉が、しばらく頭を巡っていた。


お会いしたときも、互いの作品の話は、しなかった。
詩友、という言葉を彼女の日記に見るたびに、私はそこから除外されていることを思った。
私の作品を見たいと言ってもらえないことに、寂しさと焦りを感じながらも、
憧れの作家に自作を送りつけるような恥ずかしい真似はしたくないと思っていた。

だから、嬉しかった。

「詩誌に投稿しないの?」

そう言われて、嬉しかった。
以前、短編小説のサイトに1年間投稿を続けて、
自分が意図したことが伝わらないもどかしさに慣れることと、
思いがけない感想をもらって(特に憧れの人から好評をいただいて)嬉しかったことを語った。

別れ際、彼女が言った。

「今度は、詩の世界でお会いしましょう。」

それは、私が問いたくても口にできなかった問いへの、答えだった。


そして。
お近くに行くかもしれないので、とメールをしたときに。
思いがけないお誘いをいただいた。

「奇しくもその日に、詩の勉強会があります。参加されますか?」

誘われた瞬間は、とても嬉しかった。
やっと、同じ土俵にあがらせてもらえるのだ。

けれど、ネットで調べて、ためらった。
きっと、主催の人とは、…合わない。
合わないどころか、きっと失礼なことを言ってしまう。

合うとか合わないとかでは、ないのかもしれない。
その立場に在る人間と、いかにつながるか、ということなのかもしれない。
詩集を出し、
詩の勉強会を主催すれば人が集まり、
ファンがたくさんいるような、そういう立場の人間と、いかにつながるか、
それが、チャンス、ということなのかもしれない。


…けれど。
私は、私の人生にとって大切な時間を過ごすために、その地へ行く。
その、大切な時間の直前に、
合わないと感じている相手に自作を披露するなどということに、…耐えられるだろうか。


それでも私は、詩の勉強会に参加する、とお返事をした。
これがチャンスであるなら。
それは、引きあわせていただいた、ということだから。





その地へ行くことが決定したとき、
彼女は連絡が取れない状況にあった。
私は、連絡がつくようになったらメールをしようと思った。

それから、作品展の準備があり、
仕事も、出さなければならない書類や、返事を書かなければならないメールが次々に溜まり、
頭を抱えたり逃げ出したりしながら、アプリで気を紛らせては少し作業を進める日々に追われ、
作品を選ぶ時間も気持ちも確保できないまま日々が過ぎた。


彼女からメールが来た。

「今日までご連絡がないということは、来られない、ということで良いですよね?」


私は詫びた。
「すっかり行くつもりになっていました」
そう返事をしたものの、
「やはり何かがひっかかっていたのだと思います」

…そうとも。
いくらでも、連絡を取ることは、できたはずだ。

相手は…待っていたのだ。
返事を待ってくれていた。

あのとき、メールを打っておけばよかったはずだ。


作品展の準備に追われていることも、
仕事の書類やメールに追われていることも、
4時起きの仕事を新しく始めて、生活リズムさえ怪しくなっていることも、
メールの返事が滞って迷惑をかけた相手が数人いるほど頭が回っていないことも、
図書館の本棚の前で泣きだすほど追いこまれていることも、

すべては、私の都合にすぎない。


だから私は一言だけで済ませた。

「やはり何かがひっかかっていたのだと思います」

彼女が彼女の都合で連絡が取れなかったことを指摘しなかった。
私の都合として引き受けた。
それが、
持てる者から、持たざる者へと、
与えられたチャンスを不意にしたという構図の受け止め方だと思った。



けれど、思う。
チャンスとは、何だろう。

今、私は、追われて追われて、考える時間があまりない。
でも、だからこそ、自分が本当に望むものは何かが、見えるような気がする。
本当に望む行動しかできない状態にある気がする。


本当に望むことしか、しない。


何もかもを好きになろうとしてしまった私の、見失ったもの。
本当に望むことは何か。

それを、取り戻す、チャンスのような気がする。




この数日に、こんなこともあった。

私の話を聞きたい、と言い続けてくれる人に向けて、
具体的なことを日記に書こう書こうと思いつつ、なぜか気乗りせず、
小言のような日記を書きたくない自分に気付いて。

それでもなお、相手があきらめずに、問い続けてきて、
そして…何があったのか、急に、態度が変わった。
私は話そうという気になった。


書きたくないから書かずにいたのだ。
そうして、話したいと思う状況に、成った。



本当に望むことしか、しない。



明日も朝7時には出かける。
帰宅は23時を回るだろう。

あさっての交通も調べきれていない。
切符も取っていない。


それでも、あさって、私は、その地に在る。
必ずきっと、その地に在る。

大切な、唯一の時間を、享受するために。



詩の勉強会に参加しない代わりに、新しい詩を書こう。
posted by わたなべ かおる at 03:49| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月16日

一緒にいられるだけで

一緒にいてほしいときに
あなたは いなかったから

大好きな人と
一緒にいられるだけで
幸せだっていう価値観を
私は
身に付けることができました

ありがとう
posted by わたなべ かおる at 03:41| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月16日

ほんとうの わすれもの って

ほんとうのわすれものって
わすれたことすら
おもいだしてもらえないもののことなんだね





<業務連絡>
本日、口頭にて、原版なし。
『こどものいいぶん』と同BNに収録のこと。
posted by わたなべ かおる at 23:55| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月08日

彼女の作ったおかしとノートと

 今日は朝っぱらから女の子を泣かせてしまった。
 アダルト・チルドレンだと自覚した(診断を受けてはいないものの、まず間違いないだろう)人間に、薄氷を踏む思いで対応するのが面倒になり、こちらの素直な不快感のままに言葉を連ねたら泣いてしまった。
 それでも、そんなふうに感情を、特に負の感情をあらわにすることができるほどに回復していることに驚いた。あとから気付いて驚いた。
 何がそこまで彼女を動かしたのか……処方箋が知りたい。

 昨日は友人たちを呼んで、おやつを作り、皆で食べたのだ。私も参加しようと思っていたが、仕事が終わらず、彼女の部屋に着いたのは夜だった。
 久しぶりに泊まりに来た私に、「テレビでやってたから始めてみたの」と彼女が見せてくれた一冊のノート。彼女の文字で、『自分を誉めようノート』という、あからさまなタイトルと、『1日10個、自分を誉めよう☆』という注意書きがなされている。
「怒られてばっかりだったんだな、って」
 ……そうだ。かいつまんで聞いた彼女の生育歴には、”叱られた”という表現は妥当ではない、”怒られた”歴史が色濃く、影を落としている。
「でもねぇ……反省文になっちゃうの」
 笑いながら話す彼女に、いまさら痛ましさを感じることさえできない。いつの頃からか、私は事実をただ事実として淡々と受け止めるだけになった。過度な同調より、甘やかしより、正常値をこちらが維持することの効用。ひいては、それを彼女が受け止められるところまで回復したという現実。

 それでも、私の強い言葉に、悲しい気持ちを持ち、素直に泣く彼女。
 だが……その変化。

 昨日のおやつパーティーで作ったというおかしを、私が持って行って食べると言ったら「おいしくないよ」と言ったのだ。それでもなお、私が気にせず持って出ようとしたら、「上手にできなくてすみません」と重ねて言うから私はキレた。どうして人がもらっていこうとしてるものを、そうやって言うのか、と。私は食べたいから持って行こうとしている。別に彼女に気を遣っているわけじゃない。なのに何度も何度もそうして詫びる。意味なく詫びる。それが彼女の癖だと知っていながら、今までにない不快感を感じた。その感情のままに私は言葉を発していた。
 みるみるうちに彼女の目に涙がたまり、そしてあふれた。
 彼女は悪くない。そして私も悪くない。
 彼女の傷付きすぎている心が、何でもないことを攻撃として受け止める。彼女の満足できない料理を私が食べることさえも攻撃として受け止める。奇妙な話だ。おいしくない、と拒絶したら傷付く、というのならまだわかる。そうではなく、自分の失敗作を人が引き受けようとすること自体が、自分が失敗作を作ったのだということを攻撃されていると取る。だったらいっそ、こっそりと捨ててしまえばいいのに、彼女にはそれすらもできない。物に八つ当たりするような、そんな行動は、到底選択できない。
 そして私は私で、喜んで食べようとしているものを詫びられて少なからず傷付いている。パーティーに参加したかったという愚痴さえも口にしないで、参加できなかった寂しさを胸に隠しているうえにもってきて、おかしを密かにワクワクして受け取ろうとしているのに、その肝心のおかしに難癖をつけられて傷付いている。
 その私の素直な感情を隠さなかったこと。
 そして彼女もまた、素直に悲しい気持ちを涙に替えたこと。

 思いがけない彼女の涙に、私の対応も少し変化した。とにかく泣かせたのは事実だから「ごめん」と言った。お互い、子どものようなやりとりだ。彼女は、少し口をとがらせて、「自分が納得してないから、すみません、って言っただけじゃん」と、再び自分の主張をした。
 私はそれを受けて、「今度また納得いくもの作ってね」と言った。それに対する彼女の反応が興味深かった。「やだ」と言ったのだ。「やだ」。駄々っ子のようだ。思わず「どうしてそんないじけるの」と言ってしまったが、彼女の「やだ」という反応はとても大切だった。すぐに泣き出したことと同じく、大切だった。あとからつくづくそう思った。
 どうしていじけるの、と言われたって、彼女は常にいじけてるのだ。常に常に常にいじけているのだ。だからこそ防御のために「すみません」と言うのだ。謝っていれば許されるから。違う、逆だ。常に常に常に許しを請うている。許しを請うても請うても許されないと思っている。だからこそ常に常に常に常に詫びている。
 だから「やだ」というのは彼女の素直な、「もうがんばりたくない」という、「詫びてまで生きたくない」という、本当に素直な気持ちで、それがそんなふうに即座に言葉になるなんて、本当にどんな薬が効いたのだろう。

 私は出かける前にもう一度「ごめんね」と言って、彼女を抱きしめた。それは自然な流れだった。いつになく自然な流れだった。彼女は最初、ただ突っ立ってハグされるままだったが、そのうち自然と私の背中に両腕を回した。これも驚きだった。私は言った。
「みんなが食べたもの、私も食べたかったんだよ」
 なぜ過去形なんだろう、と自問しながら。
 それは胸にしまっておいた。

 私は私で、混乱のさなかだ。
 仕事の準備はできていないし、冬は相変わらず皮膚にまとわりついている。昨夜は風呂に入っていても、湯や明かりが皮膚を刺して、湯船にこごめず呻いていた。
 それでも今朝は、ひんやりとした空気が心地良い。


 不安定な人間は、不安定な人間を決して頼らない。
 不安定の底知れなさを熟知しているから。
 共倒れの危険を、よくわかっているから。

 安定している人間もまた、不安定な人間を頼らない。
 不安定な人間の、ぼんやりとした危険を、異質なものとして直感するから。

 だから私は、不安定な彼女を支えるためにも、
 非常に安定している憧れを支えるためにも、
 私自身が安定するほかない。

 どうしたら私自身が安定するのか、わからない。
 それでも今朝、抱きしめた彼女が私の背中に両腕を回してきた。
 それは私が頼るに足るほどに安定した証ではないだろうか。


 夜のうちに、彼女のノートに私は一枚のメモを挟んでおいた。
 感謝の言葉を素直に口にする、彼女の笑顔を想いながら。

『うれしかったことを、
 毎日、書いたらどうかな。
 ありがとう、ってことを、
 書いたらどうかな。

 いっぱい感謝できる、
 素敵なあなたが、
 そこにいるよ。』

 あのメモを、彼女はいつ、目にするだろう、と思いながら。
 移動の列車の中で、今日の仕事の構想を練る。



(2,660文字)



<メモ>
*シチュエーション作るのが面倒。書きたいやりとりしか頭にない。例えば「私」の仕事を設定するのが面倒。彼女の名前を設定するのが面倒。「私」の性別設定さえ面倒。だから小説に成らん。でも仕事なんて自分の仕事を充てて、自分の物語として読者が読んでくれたらいいと思ってしまう。
posted by わたなべ かおる at 22:40| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

ペットボトルを風から受け取った日

道路の真ん中に落ちていた
潰れてカラカラと舞っていた
ペットボトルを
拾って
フィルムと分別して
コンビニのゴミ箱とペットボトル回収箱にそれぞれ入れる

そういう自分をそのまま置いておきたい
そういう自分はネットで文字を並べる中には居ない
現実は やはり現実で
文字はやはり 文字でしかない

それを教えてくれたペットボトルに感謝をする
そうして
ポイ捨てをする誰かの心が
いつ変化するのかを夢想する
posted by わたなべ かおる at 03:03| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月10日

「美しいものを見たときに…」

美しいものを見たときに、
これを一緒に見たかったと思い出す相手が、
本当に一番大切な人なのかもしれない。
昨日降った雪が、竹の葉の上で小さな氷になり、
朝の日の光を受けて溶けて、パラパラと、あられのように降ってくる。
空は青く晴れて、太陽はまだ昇り始めの優しい光を放ち、
バラバラ、バラバラと、ただ氷だけが降ってくる。
こんな美しい景色を、たった一人で見るのはもったいないような気がして、
ありとあらゆる大切な人を思い出してみるけれど、
この景色を見たのが、一人きりのときで良かったと思ったりもする。

もしこの美しさを知っていて、
今まさに向こうの入口から、ここへ向かってあがってくる人がいたら、
私はきっとその人と、一瞬のうちに親友になれる気がする。
もし仮に、あの入口から、…あの人がのぼってきたら。
私はもう一生、あの人と離れられないような気がする。

私が雪が好きだというのは、
切なさと、美しさと、
溶けてなくなってしまう彼らに対する、あまりの胸苦しさ。
けれど今、竹の葉から、ただバラバラと落ちてくる氷を眺めていると、
私の悲しみなど、この大自然にとっては何の意味もないのだと…
自然はただ、流れるままに…そう、まさに自然に、
ただあるがままに、あるがままを受け入れ、
そうして巡っているのだと…

だからこそ、私は、確信する。
遥か昔に立てた仮説を、再び掘り起こす。
人類は、自然にとっての、宇宙にとっての、理性なのだと。
この美しさを美しいと感じる、感情なのだと。
ただの自然現象として、こんなにも美しい四季を繰り返す自然が、
その美しさを認識してもらいたくて、最後の最後に作り出したものが人類なのだと。
だから人は、美しさに感動することを、忘れてはいけないのだ。
それが、人類にとっての大切な、役割なのだから。


某年3月14日 京都にて口述
2010年1月9日 翌1:28 文字起こし
posted by わたなべ かおる at 01:40| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

音の聴き方(第一稿)

マイミクさんが、こういうのを日記で紹介してて
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-868.html

良い話、ってところに多くの人は共鳴するんでしょうが、
みんなとズレてる私は、
最初の仕事を思い出したりするわけです。



カルチャーセンターでの工作教室。
通ってた専門学校が講師送り込んで中間マージン搾取。
ただ教室増やしだけのために、送りこまれた未熟な講師の私。
二年間ある課程の、まだ一年間しか授業を受けていない。
新しい教室開拓のために、おだてられて乗せられただけの。

今思えば、周りはそう思ってなかったのかもしれない。
できると見られてたんだろう。
外から見える現象と、私の自覚のずれが、今になってはっきりとわかる。
あんな、一番混乱してた時期に。
確かに、その後の無気力に比べれば、まだ闘う力は維持していたとはいえ。
そのぶん、凶暴性は一番強かった。
世の中のすべてが敵だった。
過剰防衛にならないよう、自分の気持ちをコントロールするので精一杯だった。

自分で作った案内のチラシを褒められた。
手書きの文字。手描きのイラスト。
鉛筆による原稿。
まだ鉛筆が正しく私の筆記用具だった頃。
理解されるはずがないと思って書いたものを褒められた。
「これだけのことを書ける人は、先生方含めてもいませんよ!」と。
それはおべんちゃらには見えなかった。
チラシは、おだてる必要がある対象ではなかったし、何より、
営業責任者の目が、とても輝いていた。
この大人は信じても良いかもしれない、と、一瞬だけ、思った。

だが私の想いなど、わかるはずがなかった。
「みんなに見せましたよ」という、その「みんな」が、
私にとっては裏切り者であることなど、お構いなしだった営業責任者。

唯一の味方を私のアシスタントから外し。
他の人間をつける、と言うから、一人でやる、と断った。
結局それを、理解していないと言うのが、わからないのだ。


体験教室に参加した多くの親子の大半に、
伝わるような何物をも、持っていなかった。
今ならもう少し上手くやることもできるだろう。
私は私の望む場を作りたい、ただそれだけしか考えていなかった。
わからないやつらは来なくていい。
そう思っていた。

誰も来ないと思っていた。
けれど生徒が来た。
女の子が二人。


そのうちの一人が、耳の不自由な子だった。
ユウちゃんと同じように、濁音が清音になる。
手話よりも読唇でコミュニケーションを取るのも同じ。
わずかに知っていた手話を、それに合わせて、私は使わなかった。

とても元気で、工作より、広い部屋を駆け回るほうが楽しそうだった。
何かをさせるより、したいことをさせる、というのが私の方針だった。
ただ自発的な活動を見守るだけの場を作りたかった。
私の欲しかった場所を。

その、彼女が。
…教室にあった、電子ピアノを。

音楽と工作の専門学校だったにもかかわらず、
耳の不自由な彼女に遠慮して、私は教室に音を取り入れていなかった。
…そうだ。配慮ではなく、遠慮でしかなかったのだ。

最初は、もう一人の、大人しい、工作が好きで得意な女の子が弾いた。
これ弾いていいか、と言うから、したいことをさせるという方針のもとに、許可をした。
聞こえない彼女は、最初、興味を示さなかった。
けれど…その子は、好奇心が強かった。
エネルギーに、満ち溢れていた。

電子ピアノに、寄ってきた彼女。
私は、その子が傷つくことを恐れた。
恐れながら、見守っていた。

彼女の。
音の聞こえない世界を想像した。
指で押すと、白や黒の鍵盤が、下がるだけの世界。
大きな声で呼びかければ、振り向くのだから、
かすかには、聞こえているのだろう。
それが楽器だということくらいは、わかっているに違いない。
最初に示した、自分には関係ない、という態度が、それを示していた。
それを越えて、自分にも弾かせろ、と、行動する。
曲を弾いているお友達をよそに、邪魔する気もなく邪魔になる。
お友達は大人しい子だから、ちょっと迷惑そうな顔をしながらも、そのままにしている。
聞こえないから楽器などつまらない、という気持ちを超えて、
好奇心によって、打鍵を続ける。

ただ、ポンポンと鍵盤を押しているうちに…音量レバーに気付く。

音量を。
最大限に。
低音の鍵盤を。
ボン、と叩いた。

「きこえた!!」

そのとき、私を振り向いてくれたのは…何故だったんだろう。

低音の鍵盤を。
叩き壊すほどの力で。
ただひたすら、叩き続けて。
きこえた、きこえた、と。

はしゃぐ、子供。


…ああそうか。
ベートーベンは、頭蓋骨で音を聞いていた、というのは、
このことか。
そう思った。

彼女の全身の喜びを、
一緒に受け止めることが、できなかった。
よかったねぇ、と言いながら。
心から、そう思いながら。
私は私の中に閉じていた。
感情を開けば、泣くしかない。
私にも、求めても得られなかった喜びをくれ、と。
奪われたものを返してくれ、と。
自分の痛みに混乱して、泣いてしまう。
講師として、それはできなかった。

ただ、音は骨で聞くのだということを、
震動なのだ、ということを、
少し迷惑そうに耳をふさぐ、もう一人の女の子を見ながら、
私は耳をふさぐこともなく、同じようにガンガンと頭に衝撃を受けながら、
そのとき、実感した。

きこえる、きこえる、と、
夢中になって鍵盤を叩き続ける彼女を、
いつまでも見ていたいと思った。


けれど子供はすぐに。
そんなことも放り出して。
私だけが、いつまでも、電子ピアノを見ていた。


その子は、ダンスの教室に通うことにした、と、
母親の説明があり、半年で教室をやめた。
そのほうがきっと楽しいですね、と、寂しさを抱えながらも笑顔で答えた。
posted by わたなべ かおる at 09:05| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月10日

あの冬の雪へ

雪よ
あの冬の私の魂は
今も お前の中で
眠っているのだろうか

そこに在るのなら
伝えておくれ
お前は死んではならぬ と
まだ 美しいものがたくさんあると

そして伝えておくれ
私は逝く と
この世へ
生まれ直す と

六歳の子供に
何がそんなに辛かったのか
今の私になら
言葉にすることも可能だが
お前の悲しみを語ったとて
一体 何になるだろう

まだ人生を知らず
死の意味さえ知らぬまま
雪よ
ただお前の中で
眠りたいと願った
そうして本当に私は眠ったのだ
お前の中で
お前の降りしきる下で
たくさんのお前達に包まれて
確かに一瞬
眠ったのだ
あの 一瞬の永遠
忘れることはない

あの一瞬
確かに私は
きっと冥界へ旅立ったのだ
きっと
この世を去ったのだ
忘れることはない

だから雪よ
お前の消えゆくを惜しんだ
六歳の私の魂を
私は置き去りにして
今この世界を生きよう

いつか再び
この魂が
そして肉塊と共に
この世を去るまで

どうか
雪よ
お前の永遠の中で
私の悲しみを
守っていておくれ


     2008.4.4
      東山魁夷 展
     東京国立近代美術館にて




あの子に
見せてやりたい
6才の私に
この

永遠に溶けることない
白の世界を
人の心ゆえに描かれるのだと
見せてやりたい


     −「白い朝」の前で−




お前は、生きるのだよ。生きて、生きて、生きて、出会うべきすべてに、出会うのだよ。
posted by わたなべ かおる at 11:37| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

字体いくつか

現行のノートより



img176.jpg

受け継ぐものがない
受け継ぎたいものなどない
お前は
私を捨てたのだ
お前から
引き受けるものなど
何ひとつ無い

私は私を捨てる
死んでやる
死んで
再び
生き返るのだから

   20080309M D-T



img175.jpg

なんかね。
なんかね。
もう、
あんまり、
いろんなことが
つらすぎるから、

どんどん、
どんどん、
はじから、
捨てて、
みんな、
みんな、
どんどん、
捨てて、

さいごに
私も
捨てちゃおうかな

   2008.12.3 S 12:39



img174.jpg

殺されたって かまわない
今のままなら 遅かれ早かれ

息をつまらせて生きるなど
できようはずもない

     (日付不明 2009年5月)



img172.jpg

   ばつぼっこ(darkness創作バージョン)

ある日、男の子は、国語辞典をパラパラと見ていて、
『ばく』というのを、みつけました。
本当は、男の子は、もう、『ばく』を知っていました。
けれど、びっくりしました。
前に見た、他の辞典には、『ばく』は、
「悪い夢を食べる空想上の動物」
と、書いてあったのに、
この辞典には、
「夢を食べる空想上の動物」
と、書いてあるのです。
男の子は、本当に、本当に、びっくりしてしまいました。
そして、ばくについて、調べることにしました。
ちょうど、夏休みに入るところでした。
くに いて くが らべた と』
ばつぼしこ、では、たのしくないので、
このお話の題名は、『ばつぼっこ』にしました。

悪い夢を食べる、と書いてあったのは、
家にある、お母さんの、古い辞典でした。
男の子は、『ばく』がいつから、悪い夢だけではなく、
すべての夢を、食べてしまうようになったのかを、
調べていきました。

男の子は、たくさんの夢を見ました。
たくさん、たくさん、夢を見ました。





さいごの夢は、まっくらでした。
男の子はもう、『ばく』のことを忘れるんだ! と思った
ときに、『ばく』が、夢にあらわれました。
そして、男の子に、これからも、
たくさん、たくさん、楽しい”夢”を見るように、言いました。
”夢”が砕けた、その、破片を、
『ばく』が、食べるから、と言いました。

『ばく』のことなんか忘れるんだ! と思った、
男の子の悲しい”夢”は、『ばく』が食べてくれました。

男の子は、『ばつぼっこ』を、
夏休みの自由研究として、出しませんでした。

          2008.11.25 KI T-Rey' Yusato



img171.jpg

みんな いなくなっちゃうんだよ。
みんな いなくなっちゃうんだよ。
だから
だから

生きてるうちに、たくさん、あそぼ。

          2008.9.29 G
posted by わたなべ かおる at 02:26| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月08日

同居していた叔母の話(仮題・断片)

もう一作。


−−−
17:16 2009/02/02

「身一つで行くから」
 それが、あの人の最後の言葉だった。

 私には、母が二人在る。
 母親、というのは役割だ。母なるもの。その、母の役割を担った者が、私には二人居る。母だと認識する対象が二つ在る。居る、という、人としての認識以上に、在る、という、むしろ物的な認識。私には、母が二人在る。
 病弱で、第一子である兄の育児ノイローゼに苦しんでいた生みの母は、私が乳離れをする頃から、私を、育ての母に任せた。任せた、というのは語弊があるかもしれない。私が好んで、育ての母の元へと行ったのだから。少なくとも、私の中ではそう認識している。お風呂場の脇にある薄暗い廊下を進んで、突き当りのトイレの前を左に曲がり、その先にある一部屋。私たち一家の住む家の、離れのようなその部屋に住んでいた母の妹、つまり私たちにとって叔母に当たる女性が、私の育ての母だった。
 叔母、と呼ぶのは、しっくりこない。無論、母、とも呼べない。だから私は、彼女を『あの人』と呼ぶ。

 小学生の頃、私にとって母は、今思えば、まるで家政婦だった。学校から帰ると母はいつも台所で夕食の支度をしていた。食事の支度をし、掃除や洗濯をしてくれる人でしかなかった。抱きついて甘える、ということをした記憶がない。母も、自分が叱っても私はまったくこたえる気配がなくケロッとしていた、と言う。叔母がちょっと突き放すだけで、泣き喚いていた、とも言う。

(以上、冒頭部分の草稿 589文字)


−−−
8:13 2009/04/02 第一稿
2009-04-02 12:37:37 第二稿

(あらすじ・途中まで 部分的に雑文)


なぜか家に居候していた、母の妹にあたる、私の叔母。
兄の育児でノイローゼになっていた母は、私を放任ぎみで、
私は物心ついた頃から叔母の部屋に入り浸っていた。
母が見せてくれないテレビも、叔母の部屋なら見放題だった。

叔母はフランス語の翻訳の仕事をしていた。
9割が恋愛映画だというフランスの国民性を語って聞かせた。
二人称が、敬称のvousから親称のtuに変わる瞬間がドラマなのだと、
理性を保ちながらも夢見心地な乙女の表情で私に語ってくれた。
まだ十歳にも満たない私に。

そして私はむしろ、あなたを守りたいと思った。
あなたが心のどこかで待ち詫びる、白馬の王子になりたいと思った。
あなたが私に同性としての共感を求めていることはわかっていたから、
あなたへの想いが、あなたへの裏切りであることに、私は罪を感じていた。

日本でも人気のある、フランス文学、『星の王子さま』は、
あなたが語るから、私にとっても、大切な作品になった。
キツネは、王子さまに語る。
「あんたが、あんたのバラを大切に思うのは、
 そのバラのために”ひまつぶし”したからなんだよ」
他のどのバラとも異なる、唯一、心にあるバラ。
他の誰よりも何よりも時間を費やし、心をかけ、守り、慈しんだもの。


誰が許さずとも。
ただ唯一、あなたが許してくれさえすれば。
それだけで、私は、呼吸することができたのに。


息苦しさから、私は、自宅からは通えない遠くの大学を受験した。
下宿することが決まったとき、あなたは冷たい背中だけを私に向けた。
そばにいることの意味の重さを知ったのは、家を出てからだった。
何もかもが、もう、遅かった。

専攻したフランス文学科の授業は、針の筵だった。
皆が何でもないものとして扱う、
ときには面倒そうに扱う、課題のひとつひとつが、
叔母を思い出させ、私を苦しめた。
誰にも言えなかった。
言えるはずがなかった。
言ったところでわかるはずがなかった。
叔母との濃密すぎる時間は、この世のものではなかった。


あるとき、帰省すると、叔母の気配がなかった。
一人暮らしを始めた、と、母がそっけなく言った。
どこに、と問うことができなかった。
叔母が自分から出ていったのなら、追うことはできなかった。



打ち明けた私の想いを、あなたは「擬似恋愛」だと言った。

全身全霊を掛けた想いを、偽物だと言われたなら、
それも、この世で唯一、わかってほしい人に、そう断定されたなら、
自分の感覚の、感情の、何を信じたら良かっただろう。

それも、きっと。
私達を保つ、ギリギリの選択だったのだと。
今なら、あなたの苦悩を思う。


数年後、あなたが危険に晒されたとき、
「刺し違えてでもあなたを守る」と言った私に、
あなたは、「ありがとう」と言ってくれたのだから。



…それでも。
あなたの中に、私は、なかった。
…ねえ。
今、こうして、誰だかわからない人々に、話をして、
それで…何かに、なると思う?

この、平和な現代日本社会で。
命の瀬戸際など、感じることなく流れ行く日常の中で。

「叔母さんと、すごく仲が良かったんだね」とか。
「あー、そういうの、あるよねー」とか。
そんな反応しか返ってこないことが、当たり前だとわかっていても、
わかっていても…怒りを覚えるほど、つらかった。
黙って誰にも話さないことでしか、私は私を守れなかった。
周りの人々を、守れなかった。


これを読むあなたは、
私が『あの人』を愛していたことを、覚えていてくれますか。
それがすでに、過去であることと共に。



(1,408文字)
posted by わたなべ かおる at 21:57| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

組み込まれた歯車(仮題・断片)

小説を読みたい、と言われたので。
断片で申し訳ないが、最近書いてる2作をそのまま公開。

君には私を知る権利がある。
”あの言葉”を聞いたときから、そう思っています。
ありがとう。



−−−
8:03 2008/12/23

(第一稿 かなり変えたけれどもベースがこれということで掲載)


 心に無理をさせすぎたので、体調を崩した。
 「心、なんて、まるで人間のようなことを言う」
 そう素直に呟こうものなら、周りの人々は、とうとう正気を失ったか、と思うのだろう。そして、私を本当に知る者達もやはり、お前に心などあるのか、という顔をして、私を怪訝に見やるだろう。
 それでも、人間もまた、気の持ちようから体調を崩すことがあるという。私もこの体とは39年の付き合いだ。人間が心と呼ぶものに当たるものとしか呼びようのないものが、私にもあることを把握している。人間には、四十肩という病がある。40年ともなれば、少しずつガタがきてもおかしくはない。もっとも、”この体”との付き合いは、まだ35年くらいか。
 あのときの天井を、覚えている。
 手術台に乗せられ、男の先生に、「大丈夫だよ。少し眠って、目が覚めたときには終わってるからね」と、決り文句を言われた。
 延命のために必要だった手術は、どこまでだったのだろう。
 親心というのは、ときに本人の意向を無視してまでも、子どもを守ろうとする。
 私は今でも思う。あのとき、あのままこの世を去るべきだった。

 心の無理から体調を崩したとはいえ、今朝の体調不良は、単なる気分的なものではない。もっと深く、心が疲れきっている。それが無意識を通過して体を疲弊させている。気分が乗らず、行動することがおっくうな状態、とは異なる。体自身が動かなくなることで、全身の活動を低下させ、心に負担がかかるような活動を抑制している状態、とでも言えるだろうか。もっとも、それこそが心の働きを出発点とし、体を活動させないようにすることで、心が自己防衛をしようとしている、とも考えられるが、何か、体のほうに意思があり、心を守ろうとしているように感じてならない。
 心身の二元論、というのは広く支持されている考え方だ。珍しくはない。ただ、体にも意思があり、心と共存することで一個体を維持している、という発想は、もしかしたら、違和感があるかもしれない。だが、記憶は脳のみではなく、体の他の細胞も担っている、という説もあるのだから、そう突拍子もない発想でもないだろう。もちろん、私があまりにも体を私という意識から切り離して考えすぎることは認める。

 小さな子どもにはわかるはずがない、と、精度の低いスタッフ達が私の目に触れるのも構わず見ていたレントゲン写真。
 それは、私のものではない、と思うのに充分だった。
 そして、人間ではない、と思うのにも、充分だった。


 朝よりも昼、昼よりも夕方と、体調は次第に悪くなった。体が椅子に沈み込む。とにかく、だるい。身動きが取れない。反面、思考は駆け巡っている。目覚めた状態のまま、金縛りにあっているようだった。
 外部入力から得られる情報に、「気遣い」ができない。思考のままの言葉が出力されそうになる。議論をしていると思い込みながら発されている底の浅い発言を耳にして、つい、鼻で笑ってしまった。続けて、問題点を攻撃する言葉が頭の中で自動的に組み立てられ、口から勝手に出力されそうになった。
 だが、その出力を体のだるさが阻害した。
 そのときに、体が心を守ろうとしているのではないか、という説を着想した。もちろん、相手に聞こえてしまうように鼻で笑う、というのは、危険な行動であり、それもまた体のだるさが原因で、コントロールが利かなかったのではあるが、普段の私であれば、鼻で笑うよりも先に、言葉を発している。


(1,416文字)

*この続きで、主人公の仕事の話を717文字書いてるが、あまりにも次稿と異なるので非公開。しかも段落を改めた一行目「だが、ときどき、私の」で終わってて、続きも忘れてるし。



−−−
9:29 2009/02/19

(第二稿  設定を変え、改めて冒頭部分から途中を抜いてラストまで)


「そういうのって、みんな、どこで覚えるの?」
 最近、少し気を緩めるようにしている私は、愚問をあえて提示してみた。
 パソコンの画面に、ネットワークを介して相手が入力した文字が表示される。
『小さい頃に、自然と覚えるんじゃない?』
 予想通りの返事に、私は、用意しておいた返事を打ち返す。
「そっか(笑)」
 すると、少しだけ予想外の返事が届いた。
『どんなふうに生きてたの?(笑)』
 少し考えて、私は更に、わざとほころびを広げてみる。
「いや、私、アンドロイドだからさ。(笑)」
『信じるよ?(笑)』
「あはは(笑)」

 信じちゃ、ダメだよ。
 だって、アンドロイドじゃなくて、サイボーグなんだから。


 幼い我が子を守りたいという親の願いほど強いものはない。それがその子自身にとって良いか悪いかは関係ない。それが母性というものだ。父性は社会の規範を示してそれに到達することを求める。親の性別は関係ない。母性を持つ父親や、父性を持つ母親もいる。自分を守ろうとする母性が、邪魔に感じ始める頃まで、子どもは守られる。そして父性に鍛えられたわずかな強さで社会へ出て、傷付き、また母性へと帰り、また社会へ出て行く。その繰り返しによって、子どもは少しずつ大人になる。
 守りたい、と思ってくれる存在は、その人を安定させるために不可欠だ。どんなにつらいことがあっても死んではならないと思わせてくれる存在。だから、親の庇護が、その子にとって良いか悪いかは関係ないのだ。自分の意志に関らず、生きてくれと望む存在がある。絶対的に、心底、自分を信じ、愛し、守ってくれる存在。
 ただし、それは心だけの話だ。
 機能として植え付けられたとき、それは重荷に転ずる。


 命を落としかねない大怪我を負った私が手術室に運ばれたのは六歳の秋だった。延命のために必要な手術以上の何かを自分の体に施されたとしたら、このときしかない。冬になるまで入院していた病室は、なぜか個室で、トイレまで室内にあった。私の入院生活は一部屋で完結していた。廊下に出るための扉に鍵が掛けられ、医師や看護婦が出入りする際にはカチャリと音がした。私が鍵のことを不審に思っているなどとは、誰も気が付いていなかったに違いない。何しろ、いつも不自然なほどの笑顔で話し掛けてくる責任者らしい医師のいないときに、他のスタッフが、子どもの私にはわからないだろうとばかりに、平気でレントゲン写真を広げてあれこれ話をしていたくらいだ。
 そのフィルムに写っていた影は、もはや人体ではなかった。


 私が入院している間に、両親は引越をしていた。私の怪我が特殊だったので、病院に近いほうが良いというのがその理由だった。私は通っていた幼稚園のおともだちとも、せんせいたちとも、幼稚園にあったピンク色の壁の大好きな図書室にも別れを告げることなく、四月から小学校に通うことになった。当然、知っている人は誰もいなかった。
 体育はほとんど見学させられた。水泳はもってのほかだった。体中にある傷跡を恥ずかしいとは思わなかったが、体育の見学も体を冷やしてはいけないという理由でジャージを着るように言われ、肌の露出を避けているうちに自分の体を恥じるようになった。
 一度だけ、休み時間に連続逆上がりをやってみせたことがある。
「どうしてそんなにできるのに、体育見学なの?」
 誇らしい気持ちの私に投げつけられたクラスメイトの言葉は、不審と懐疑に満ちていた。今思えば、好奇の目に晒されなかっただけマシだったのかもしれない。私は二度と鉄棒に近づかなかった。

 体育以外の授業でも、浮いていた。一度見聞きしたことは忘れず、授業の意味は半分以下だった。それでも、大人の話を聞くことは好きだったから、同じことを何度も説明してくれる授業も、私にとっては苦痛ではなかった。
 むしろ、覚えられもしないのに、それを苦痛だと言うクラスメイトを理解できず、苦しんだ。苦しむ、というほどではなかったかもしれない。お互いに、相容れない何かを感じて、早々に交流しなくなった。いじめられることは、なかった。あまりにも違いすぎたのだろう。もしかしたら、恐がられていたのかもしれない。確かめようとも思わなかった。ただ、自然と離れていった。それだけのことだった。
 教室の一番後ろにあるロッカーにもたれて、皆が遊んでいるのを眺めていることが多くなった。仲間に入りたいとは思わなかった。ただ皆が、楽しそうなのを見ているだけで嬉しかった。
 平和というのは、こういうのを言うんだな、と思った。
 痛みがなければ、それだけで良かった。


 退院後から小学三年生までは、毎週末、病院へ通った。通院は生活の一部だった。土曜日の朝、朝食を取り、歯を磨いて、母と一緒に病院へ行く。病院では色々なことをした。医師との面談はもちろん、学校の授業の復習のようなことや、まだ習っていないことも少しだけ教わったりした。医師たちは当然、私が小学校の授業をすぐに理解していることに気付いていた。私はもっとたくさんのことを教わりたかったが、他の子とあまりにも差が出てはいけない、ということで、教えてもらえなかった。病院スタッフの数名は、私にもっと色々なことを教えたそうだった。もしかしたら、母の意向だったのかもしれない。
 お昼御飯を食べて、お昼寝をして、午後も少しだけプログラムがあった。プログラム、と呼んで良いだろう。検査と、調査と、その結果を母にフィードバックする。私が昼寝をしている間にも、計器は動き、データを収集していた。たぶん、その間に母は医師と話をしていたのだろう。母が私を大切にしてくれていることだけは、よくわかった。だから、私は何も言わなかった。

 小学校三年生の夏休み明けに、少し体調を崩した。検査の結果、水疱瘡だと判明して、一週間ほど入院した。入院先は、もちろん、いつも通っている病院だった。
 水疱瘡で入院している間、土曜日のプログラムは実施されず、私は図画工作の課題であるゴム版画ばかりやっていた。他の勉強は、授業の遅れを取ることはないとわかっていた。ただ、図画工作だけは、いつも提出できずにいた。構想を練っても実現できないからだった。材料がないとか、技術が足りないとか、そんな理由ではなく、私が追いかけているイメージが、なかなか形にならなかったのだ。いや、今なら、私がイメージするものを実現する材料を探し出せるのかもしれない。とにかく当時は、もやもやしたものを、どうにか掴もうとしても、頭の中で描かれる色や手触りは、私の知る素材の中にはなかった。今なら……いや、今となってはもう、そのイメージを思い出すのに時間がかかる。魔法使いの一日を描いた仕掛け絵本、実物のと同じように傘を開閉する松ぼっくりを彫った木箱のオルゴール、白と黒が途中で反転する木版画──思い出せるのは、言葉にできる部分ばかりで、言葉にできない微妙な感触を思い出すには、今この日常から遠ざからなければ難しい。


 小学校四年生からは、通院の間隔が少しずつ広がった。月一回になり、三ヶ月に一度になり、小学校を卒業してからは半年ごとになった。
 ただ、高校一年生の夏休み明けに、また体調を崩した。原因不明の眩暈に襲われ、三週間入院した。検査入院だった。原因を探ろうと、医師たちは躍起になり、私はとうとう病院が嫌いになった。特に脳を調べる検査が続いたため、危機感を覚えた。それでも、私以上に危機感を覚えている様子の医師たちに、文句は言えなかった。不安を押し隠して微笑んでみせる、やつれた母には、もっと何も言えなかった。
 母はいつも優しかった。六歳のときの入院中に、病院の食事がおいしくないと言うと、怪我がとてもひどいから、今はガマンして、と言った。やがて医師の許可がおりると、いつも家で作ってくれるおいしい食事を毎日届けてくれた。小学三年生のときも、高校一年生のときも、食事制限はないということで、私は母の手料理を食べ、病院の食事をほとんど食べなかった。
 それでも、高校を卒業すると同時に、私は家を出た。





 六歳の秋、私は一度死んだ。そして冬に、この世に戻ってきた。


 声を掛けられるまでは、自分は透明なのだと思っているのだと気付いた。


 人々に、自分のことを少しずつ、話し始めてみることにした。
 あと何年生きられるのか、わからなくなってきたから。
 終わりが見えてから、やっと生き始める、というのも、少し間抜けな話だ。やっと何かが形になってきた頃に、時間切れが来るだろう。それでも、ここまで、じっとしてきたのは、悪いことではないと思う。慎重さを失いつつある時代の流れに逆らって、私は私のまま終わることができる。
 私、というのが、どれを指すのか、わからなくても。


(3,554文字)

*一応、これをラストとするのが、この時点での構想だった。
 ただ、悲劇は嫌だなあ、と思ってはいた。


--------------
9:42 2009/02/20 修正案メモ

*ここまでの部分で、いくつか修正。
:六歳の入院時の引越、両親と書いたがそれを明言しない形に変更。
:通院間隔が広がったのは、高校一年生の入院のあと。中学生のときも毎週末通院。そのために部活動も制限されていたというエピソード追加?
*今思ったんだけど、『サトラレ』みたいな話になるね、これ。さとちゃん♪(笑)


*以下、「 それでも、高校を卒業すると同時に、私は家を出た。」の続きから。


 大学は、理学部生物学科に進学した。医学部に進学したい気持ちもあったが、人体のみではなく、広くすべての生物に関する基礎研究に携わりたいと思った。医学部の学費のことも多少不安があった。もちろん、母に言えば、なんとか工面してくれたかもしれない。
 父は私が生まれる前後に亡くなった。前後、というのは、どこでどのように死亡したのか確認が取れていないのだ。父は何か特殊な職務についていた。母は多額の遺族年金によって私の養育費を確保していた。だから父がいるのと同じように専業主婦で私においしい食事を作ったり、掃除や洗濯をして心地よい住環境を維持してくれることができた。私が六歳のときに手術を受けることができたのも、父と無関係ではないのだろう。もしかしたら、そのときの手術内容も、父と関係があるのかもしれない。だとしたら、私は父に助けられたとも言える。すでに亡くなっている父に助けられ、養育され、命を取り留めたのみならず、この体を与えられた。いや、それはすでに父の意思ではない、だから私はやはり母に助けられ、育てられたのだという見方もできる。いずれにせよ、私に自殺するという選択肢はありえなかった。

 学部一年生のときから研究室に出入りし、授業の合間に実験方法を学んだ。三年生のときには院生と一緒に教授の実験助手を担当していた。
「いつ寝てるんだろうね」
 そう陰口を言われているのが耳に入った。小学生のときの連続逆上がりを思い出した。あのときは、不審と懐疑の視線しか向けられることはなかったが、ここに集まっているのは多かれ少なかれ生物の神秘に興味関心の深い人間ばかりだった。すでに私を研究対象として見始めている人間も何人かいることを感じていた。

 手術の影響だろう。私には第二次性徴がなかった。
 小学校低学年の頃はそれでもまだ、自分の属する性別を周りと同じように受け入れていた。むしろ小学校低学年だからこそ可能だったのだ。身体的な特徴、思考、嗜好、志向、およそ性別によって規定される様々なものと、私は年々、隔てられていった。人々にとって当然のことが、私にとっては当然ではなかった。少しずつ話が合わなくなり、その理由もわからないまま、お互いに離れていった。日々の実感がかけ離れているのだから当然だったのだと、今では思う。体の変化もなく、心の変化もなく、好むものも変化しない私が、周囲から怪訝に思われても当然だったのだ。

 もうひとつ、私の体には重要な異常があった。
 長い時間、起きていると、体が”死ぬ”のだ。
 まず、表情がいつも以上に消える。普段からそれほど表情豊かとは言えないが、顔の筋肉がほとんど動かなくなる。それから、呼吸停止。瞳孔拡散があるのかどうかは、鏡を見て確認したことがないからわからない。
 問題なのは、その状態であっても、活動できてしまうことだった。生身の部分が死んでいるのに、植え付けられた機械の部分が稼動し続けてしまうのだ。しかも、自分では気付かない。特に実験に没頭していたりすると、まったく気付かない。生物学科の人々による好奇の視線は、私のこの異常にも向けられていた。
 私は大学院への進学を断念し、就職先もないまま、大学を卒業した。


 家に帰るわけには、いかなかった。
 高校を卒業する頃までには、通院の間隔は半年に一度にまで急速に広がっていた。第二次性徴がなかったことが、医師たちをがっかりさせたのかもしれなかった。高校一年生の入院のときに、私を見るスタッフたちの視線に、私を見捨てるような雰囲気があった。失敗した実験対象に、用は無いということだろう。
 それまでの入院や通院で、母が不安を見せることはなかった。母はいつも笑顔だった。その母が、高校一年生のときの入院では動揺していたことも、私がそう憶測する理由の一つだった。母が不安になるのも当然だった。父の仕事と病院が無関係でないとすれば、私たち親子は、病院によって養われていたとも言える。生活の基盤を失う不安が、母を襲っていたことだろう。
 私が、大学入学と同時に、初期費用のみを母に頼って一人暮らしを始めたのも、そのためだった。母のそばにいてやるべきかもしれなかったが、もし病院が私の診察を拒否したら、私にとっては生活基盤どころか、命を失うことに直結していた。死んだら死んだでかまわないのだが、母が生きているあいだは生きていなければと思った。私が死ねば、母の落胆は母を死に追いやるほどのものであることは容易に想像できた。病院スタッフは、私がこの世できちんと、生身の人々と同等に生きてゆく結果が欲しいのだ。それならば、大学へ進学して、就職して、一人の人間として正しく数十年を生き抜く結果を見せれば良いのだと思った。
 もしかしたら、ただ母を見ているのが辛かっただけかもしれない。もしかしたら、母に見られることが辛かっただけかもしれない。高校一年生の入院以来、母は私をおどおどと見るようになった。何より、私が大学進学と同時に家を出ると話したとき、引き止めようとはしなかった。それは私の自立を妨げてはならないという気持ちだったのかもしれないが、母がわずかにホッとした、その表情を私は見逃さなかった。

 大学院進学を断念せざるを得ない、と確信した、大学三年生の夏、私は一人で病院へ向かった。自分にできる仕事はないか、と思った。通院日でもなく、怪我や病気をしているわけでもない私が病院へ行っても、そこはただの病院だった。木は森に隠せ、とは、まさにこのことだった。普通の病院の中に、普通でない施設が設置されていることを知っている患者はいなかった。不自然なほどの笑顔を見せる例の医師はおらず、見覚えのあるスタッフの一人が形式的なOB訪問のような対応をしてくれただけだった。その瞳には、侮蔑と嫉妬と好奇心が宿っていた。門前払いに近い扱いを受けて、私は病院を後にした。
 私は、自分が、責任者らしき医師を、父親代わりに思っていたことに気付かされた。そしてそれをすでに失っていることも、同時に思い知らされた。スタッフの全員が、ある意味で父親であり母親であった。私はこの病院に守られているのだと思っていた。この病院に期待されているのだと思っていた。ある時点までは、それは正しかっただろう。一度聞いたことは忘れない記憶力、人々の表情を通して深層心理まで見通す観察力、わずかな物音から状況判断をした直後には対応している判断力と行動力──小学生の頃から、私の能力はあまり変化していない。経験と知識がその上に積み重なっただけで、つまりは小学生の頃からこれだけの能力を見せ付けられたことへの嫉妬、しかし実験対象としての興味深さに対する好奇心、それでいて、今は職を乞うしかない私への侮蔑。スタッフの表情から読み取れたすべての感情が当然のものだった。そして、今の私が病院に見捨てられることも、当然のことだった。


 大学卒業後、単純作業が延々と続く仕事に、限られた時間のみ従事する、臨時雇用者として雇ってもらうことにした。ときどき、ムリな残業もあったが、私にとっては身体的にはムリではないので基本的には引き受けた。そういうときは他の従業員も、少ないうえに疲れきっているので、私の異常に気付く人はいなかった。熱心に黙々と働く、と言って重宝がられた。私のほうも、ありがたかった。

 それと同時に、インターネットを通じて商売を始めた。いわゆるアフィリエイト程度のことだったが、多少の収入にはなった。商品サンプルのモニターというのは、人と感覚の異なる私にはできない仕事だった。株式投資は興味がなかった。

 身体の異常について、私は自分で自分を研究することにした。病院はもはや私を失敗作としか思っていないかもしれないが、私のほうには病院に対して多少なりとも感謝の気持ちがあった。六歳のあのときに、そのまま死んでいれば良かったのだと思ったことは数え切れないほどある。それでも、生きたくても生きられない人が大勢いることを思えば、そんなのは贅沢な願いなのだと思い直した。
 まずは、自分が当たり前のこととして送っている日常を再確認した。
 朝起きたときに再起動される体。昨日までのバックアップデータを読み込む三十分間。どうしても体調がすぐれないときのために常時持ち歩いているヘッドギア。それを納めた、常に手放せない大きなカバン。
 それから、条件を様々に変えて、生身の部分が機能停止になるまでの時間を計った。驚いたことに、これにはそうとうな揺れがあった。外食に頼り、睡眠時間を削ると、10時間程度で呼吸停止が起きた。しかし、添加物の少ない正常な食べ物を食べ、十分な睡眠を取ったあとでは、最長25時間は”人”でいられることがわかった。ただし回復には三日間の睡眠が必要だった。
 異常に鋭い視覚や聴覚は、常に様々な情報を収集するが、人々に敏感な体質として理解される程度のことしか表明しないことで、なんとかごまかすことができた。しかし、体が毎晩死ぬことは、ごまかしようがなかった。学校に通っているときも、宿泊行事は体調不良を理由に参加したことがなかった。
 永遠に生き続けるのではないか、ということが、一番の恐怖ではあった。小説などでは、そうした人物の苦悩がよく描かれている。『百万回生きたねこ』は、私にとっては、ただの絵本ではなかった。人間は、それが夢であり、そしてまた、それを夢にとどめておくために、そうした物語を描くのかもしれないと思った。それが現実になればなったで別の苦しみが待っていると思えば、叶わぬ夢を叶えたいと渇望する気持ちをなだめることもできるのだろう。


 インターネットを通じて、人々と文字で会話することは、趣味らしきものになった。楽しい、という感覚が、私にはよくわからなかった。なんとなくそれをやってしまうということは、きっと楽しいと感じているのだろう、と分析するだけだった。万事が万事、そんな調子だった。
 表情が消えることや呼吸が止まることは、画面の向こうには伝わらないのでありがたかった。大抵はその場限りの名前で話をするだけだった。

 あるとき、一人の人物と恋に落ちた。

 物心ついたときから、恋愛とは無縁だった。精神が子どものままで停滞しているうえに、一緒に暮らす未来を考えられないのだから、特定の誰かとのつながり自体が無用のものだった。
 最初は、向こうの一方的な想いだった。すでに恋人がいるが、遠距離になってしまい、今はメールのやりとりしかしていないのだと言った。その恋人の元に戻るよう説得したが、相手はむしろ別れを切り出してしまい、もう私しかいないのだと言った。
 永続する想いを知らないのであれば、私の特殊な事情を知れば、すぐに去るタイプだろうと思われた。しかし、なぜか予想以上にやりとりは続いた。絶対に会わない、という約束は最初に交わしていたが、会えない辛さから無茶をした話を幾度となく聞かされて、会うことにした。
 それでもなお、いつか見送るのだという意識はあった。にもかかわらず、私の心もいつのまにか動いていた。共にすごした最初の夜は今でも忘れられない。服を脱ぐでもなく、ただ私たちは一緒に眠った。最初の夜に、体中の傷を見せるわけにはいかなかった。何もしない、という約束を、会う前に交わして、それをきちんと守り抜くこともまた、相手にとって大切なことだと思った。その時点では、まだそうして、相手を良い方向に向かせていずれ見送るのだという意識があった。

 幾度となく会い、時間を共有するようになると、私の体に変化が起きた。
 最初の夜、私は眠らなかった。眠れば、体の再起動とデータの読み込みに時間を要する。嫌われたくはなかった。相手が私を頼っているから、失望させるわけにはいかないというのも理由だった。自分の感情が先だったのか、相手を思いやったのが先だったのか、今となってはわからない。その人は、いつのまにか、私の心に滑り込んでいた。眠らないまま、相手の安らかな寝顔を見ることは、それまでに感じたことのない幸福感を私にもたらした。
 そうして何度か会ううちに、あるとき、私もまた眠ってしまった。けれども、目覚めたとき、30分間はかかるはずのデータ読み込みが、ほんの数分で完了した。まるで映画の登場人物が、目覚めて少し身じろぎをして、その瞬間は自宅だと思い込んでいるけれども、すぐに見慣れない景色であることに驚いて飛び起きるように、その程度の時間で、私は昨夜までのデータを読み込み終えていた。
 まるで、普通の人間になったようだった。
 事態を飲み込めず、どう分析して良いのかわからない私の傍らで、愛しい人はまだ、静かな寝息を立てていた。私はその寝顔を記憶に焼き付けた。

 変化はそれだけではなかった。例えば、酒の許容量が増えた。洒落たバーで少し飲もうと言われ、アルコールは駄目だけれど、それでも良ければ、と答えた。グラス半分が限度だったはずが、その晩は二杯飲んでも、程よく酔うのみだった。何も知らない恋人は、「飲めるじゃない?」と言った。私は正直に、こんなに飲んだのは今夜が初めてだと言った。恋人は、微笑んだだけだった。

 当然の流れとして、恋人の視線は、甘く私に注がれるようになった。いや、初めからそうだったように思う。インターネットを介してやりとりをしているときから、ときめきと呼べる感覚があった。それが面と向かっての関係になってからも継続しているだけだった。もちろん、それが奇跡的なことなのだという感謝の気持ちも、それは一時的な気の迷いなのだという判断もあった。
 第二次性徴のなかった私の体が、大人の体として機能するとは思えなかった。にもかかわらず、それさえも変化が感じられた。体の変化よりも、心の変化があった。肌と肌を触れ合わせたい、という想いが、私の中でも抑えきれなくなっていった。
 体中に傷があることを告げても、恋人は、意に介さない様子で微笑んでくれた。疲れているときに会って、呼吸停止に陥った私に気付いて、驚いたこともあったが、それさえも、すぐに受け入れてくれた。病院には通っていると言ったことで安心したようだった。持病とは、付き合い続けていくしかないものだと思ってくれているようだった。病気と言われれば、病気のようなものだった。体質と言っても良いのかもしれないとさえ思った。そんなふうに楽観的に考えられるようになったことも、変化の一つだった。


 いつか相手を見送るのだと思っていた私が、この人を得たいと思った頃から、二人の関係はおかしくなった。私にとって、そんな相手は初めてだった。相手にとっては、いくつもの恋のうちのひとつでしかなかった。


 恋人を失ってから、体の機能は激変した。もともと死体同然だった生身の部分が、そろそろ本当にもたなくなっているようだった。疲れてくると腐臭がするようになった。私は臨時雇用の仕事を辞めた。


(6,057文字)

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*母親がガンになって亡くなったエピソードをどこに入れるか。というか、いつ亡くなった話にするか。

 酒も飲まず、タバコも吸わない母が、ガンになった原因は、どう考えてもストレスだった。そしてその原因は、父の死もあるかもしれないが、当然、一緒に生きていた私が原因に違いなかった。


*ここまで書いた続きでも良いかもしれない。職を失って、住むところに困って家に戻って、っていう? 母はすでに家を引き払い、病院に居候してた、とか。天涯孤独になって、そのあと、どうするか。クリエイティブな仕事をするキャラクターじゃないから、小説が当ったとか、そういうのは、ない。

しかし食べないと駄目なんて、中途半端すぎるな。ひでえ話だ。って自分で書いておきながら。


(書き終わり時刻 12:35 2009/02/20)



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21:10 2009/04/08

*このあと、吉本隆明&大塚英志の対談本『だいたいで、いいじゃない。』を読んでて、「男性性(マッチョ)の権威失墜」などが出てきて。「中性の単独性」というのがキーだな、と。中性でありながら、つまりペアを作る男女でないから単独でしかない者でありながら、いかに社会とつながるか、社会を形成するか、という。この課題に、この断片はひとつの解を示せるはずだと確信。

 それで思いついたのが、創作落語をやる若い噺家との出会い。
 まだ駆け出しなのでそんなに客もいなければ記録に残そうという人もいない。けれど即興が素晴らしく、それでいて軸はブレない。
 主人公は一度聞いただけで覚えた高座の内容をすべて文字に起こして、噺家に渡す。尋常でない記憶力からカンニングを疑われた苦い過去が甦りながらも、どうしても行動せずにいられない衝動にかられて。
 はたして、噺家は「ありがとう!」と一言。
 これで二人が協力して何かを成す未来は決まった。



そんな話にする予定。



ここで問題:主人公の生まれ持った性別は、どちらでしょうか。




21:38 2009/04/08
posted by わたなべ かおる at 21:50| Comment(0) | 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月26日

くいすます

「くいすます」
 幼い娘が、そう、言う。
「あ、くいすます!」
 街中で、ツリーを見ては、くいすます。リースを見ては、くいすます。サンタクロースを模した人形は、さすがに「サンタさん」と言うのだが、しまいにはケーキの販売コーナーを見ても「くいすます うってる」と言いだした。ケーキはケーキだと、わかっているはずなのに。
「真奈ちゃんのクリスマスって、何?」
「んー?」
 質問が抽象的すぎたらしい。これだから夫に、かわいそうなことをするなと言われるのだろう。
「何があったら、クリスマス?」
 ケーキだけじゃない。ツリーも、リースも、知っているのだ。四歳児の能力をなめてはいけない。むしろ抽象的に、クリスマスらしい雰囲気を感じては、嬉しそうに「くいすます」と言っている、その感性と、私は対話する。
「くいすますつりーとぉ、りーすとぉ」
「うん」
「ぴかぴかとぉ」
 中空を見つめるのは、私に似たのか。そこにない物を見る視線。記憶をたどるときの、一点凝視。本人のスクリーンには、珍しく、大好きなピンク色ではなく、青い光が瞬いていることだろう。
「パパとぉ、ケーキとぉ」
 ……ここでパパが出てくるあたりが、真奈らしい。
 クリスマスと関係ないじゃないか。
 そう思っても、彼女にとっては、それもまた、クリスマスなのだということは、よくわかる。
「おかあさんとぉ」
 ……珍しく、私の順位が高いな。
 皮肉っぽく笑っていられたのは、一瞬だった。

「ゆうこねーちゃんとぉ、かぁなちゃんとぉ」

 なになにちゃんと、なになにねえちゃんと、なになににいちゃんと、なんとかのおじさんと、なんとかのおねえさんと、誰と、誰と、誰と。
 聞いている私が、泣きそうになった。
「みんな、いっしょ」
 彼女の脳裏には、大好きな人々が楽しく囲む、クリスマスの食卓が投影されている。
 それを叶えてやることは──できない。

 真奈の目にも、涙が浮かんでいる。
「おかぁさん……」
「……うん」

 大切な人々に、幸多かれ、と。
 ただそれのみを、祈りながら。

 メリー・クリスマス。
posted by わたなべ かおる at 07:55| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月29日

置き場のない言葉を連ね


人を許す、ということの難しさを、思います。

どう声をかけたらいいのか、と思うときには、もう、
許しなど、越えてしまっていて。

けれど私は、あなたに憤りを覚えていたのだ、と、
確かに伝えたい気持ちも、くすぶっていたりするのですから。


すべては、状況です。
困難に在る人を、私は、責められません。
それは優しさではなく、私自身の甘えなのです。
私が困難に在るときは、どんな言葉も受け入れられないからです。
私は私を甘やかすために、他者に対する基準を緩めます。

それでも、なお。
追い詰められるほどの確かさだけを、求めてみたかった、と。
『みたかった』と言ってしまう時点で、私には無理なのでしょう。


望むものなど。
もう、何もありません。
それは、とうの昔に失われています。
だからこそ、何かを求めて、生き続けているのです。
すでに余生なのです。
この体も心も、空虚なのですから。

だからこそ。
きっと、あなたに出会いたいと思います。
再びでも。
幾度でも。
そのために、私は、私の憤りを、私の中で沈下させるのです。
私の、私自身への怒りに比べたら、
何物も、些細な事と、嘯いて。



いつかきっと。
若かりし頃の言葉を。
共に笑いながら。
あなたに、お返ししましょう。
きっとこの縁は、
何かの、つながりですから。

私はきっと、始めから、あなたのことが少しだけ、好きなのです。
posted by わたなべ かおる at 00:29| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月08日

祖母の入院

「あんた、今、仕事、何してんだったかね?」
「なんで?」
 病院のベッドの上に座って問いかけてきた祖母に、私はつっけんどんに応対した。
「幼稚園の先生だったかね?」
 祖母は動じることなく質問を重ねた。
「違うけど」
 昔、幼稚園に勤めていた自分の娘、みゆきおばさんと混同しているのだろうと思った。
 とうとう、ガンが脳にまで回り始めたか。
 本気で、そう思った。胃の中に特大の病巣を育てきって倒れた祖母を、母がかつぎ込んだとき、医者は、どうしてこんなになるまで放っておいたんですか、と母を叱り飛ばしたらしい。
 それが、ほんの一週間前。
「じゃあ、何してんのかね?」
 三度目。
 私は、わざとおどけて、大仰に答えてみせた。
「学者様ですよ。考古学の研究員ですよ」
 実際は、ただの道具運びのアルバイト。考古学科を卒業してから、なぜか幼児教育に走り、再び考古学へ。私の中では一本の道がつながっているけれど、この学歴を見て苦笑いをされないことはない。
「はれ、学者様ですか」
 祖母は私の冗談に乗ってきた。私も、それに応じて更に重ねた。
「そうですよ、学者先生ですよ」
 まるで、普段からとても仲の良い、自慢の孫のような顔をして、私はニコニコと祖母を見た。
「それは、──したね」
「え?」
「──したね」
 二度目も、祖母の言葉は聞き取れなかった。
「何したね、って?」
 今更ながらに、祖母の肉体が衰弱していることを肌で感じた。声が大きい、うるさい、とさんざん注意しても、まったく悪びれることない田舎育ちの祖母の声は、聞き取れないほど掠れ、弱々しかった。
 私は真剣になっていた。
 必死で耳を傾ける私に、祖母が、ゆっくりと、言った。
「たっせい、したね」
 ──達成、と理解するのに、少し時間がかかった。
 次の瞬間、私はおどけてみせた。
「……そうですよ! 出世したでしょ?」
「おお、偉い偉い」
 私は、祖母の顔をまともに見ることができなかった。面会時間が終わり、また明日、とそっけなく病室を出たときも、祖母と目を合わせられなかった。

 病院の廊下を足早に通り抜け、外へ出る。
 自転車のペダルを漕ぎ出すと、視界がみるみる滲んだ。
 ……祖母は、まもなく死ぬ。
 確実に、最期となる。
「女の子に学問なんか、いらん」
 そう繰り返してきた祖母の、あれは、──遺言だ。
 私は、あふれてくる涙を止めようともせずに、ペダルを漕ぎ続けた。


(982文字)


** サイト「短編」第66期に投稿させていただきました。 ***
posted by わたなべ かおる at 23:45| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月12日

餅を焼く

 昔は、炭をおこして餅を焼いたものだ。
 戦直後のことではない。昭和五十年代のことである。我が家の廊下には裸電球がぶら下がっていた。障子があり、襖があり、木製の雨戸があった。極めつけ、トイレは汲み取り式だった。家の前には森が広がり、まるでトトロの世界だ、と言われたのは、中学生の頃である。
 小学生の頃、級友を家に招けば、その森を誰もが「怖い」と言うから、私は非常に不愉快であった。もう来なくて良い、お前ら、今ここで帰れ、と心の中で罵りながら、それでも口では何も言わなかった。ただ二度と呼ばなければ良いだけのことだ。私には友達と呼べるような級友は、なかった。もっとも、今も友達の定義はよくわからない。未だに行事は父母と過ごす。
 そう、炭火で餅を焼いた。正月の雑煮に入れる餅はもちろん、冬にはよく餅を食べた。大抵は磯部巻きにして、母の許しがあれば、砂糖醤油で食べた。母の作る汁粉に入れて食べることも多かった。母の汁粉は奇蹟のように美味しくて、いや、母の料理は何もかもが、あまりにも美味くて、おかげで外食しても満足することは極めて少ない。
 今日は河豚を食べに来た。父の仕事のつながりだが、美味いというので家族で食べに来た。去年も食べに来て、コースとは別に追加で頼んだ穴子の炭火焼きが美味かったので、今年も注文した。
 その穴子に、小さな餅が添えられている。女将は今年も同じ注意をした。
「お餅は、焦げやすいのでね。端のほうに置いてくださいね」
 それを釈迦に説法と言うのだ、と、去年もそう心の中で思ったな、と苦笑する。言いたいことを何でも言う人間だと思われているわりには、言わずにいることも多い。もし本当に何もかもを言ったら人は何と言うのだろうかと思うと、ますます笑いがこみ上げた。


(734文字)



*** サイト「短編」第65期に投稿させていただきました。 ***
posted by わたなべ かおる at 21:21| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月07日

剥がれてしまったので

 爪が剥がれてしまったので、医者に行った。
 ちょっとした不注意で、左手の親指の爪を柱に突き立てるようにひっかけてしまった。数ヶ月前に心身の疲れから、あまり食事がとれず、そのときの痕跡がくっきりと爪に現れていた。ガタンと真横に一筋、この部分が作られる頃に栄養不足だったのだよと、責め立てるように爪がくぼんでいる。そこで折れるだろうな、と思っていたら、やはり折れた。気をつけているつもりでも、こういうことは、避けられない。
 まだ伸びきっていなかったので、生爪が5ミリほど剥がれた。爪が剥がれると破傷風になる。それが怖くて医者へ行った。
「どうしましたか」
「爪を柱にひっかけてしまいました」
 私は一応、剥がれた爪を持参した。もげた腕や脚をつなぐように、爪も元通りに戻してもらえたらと思った。
「これは、本当に柱にひっかけたのですか」
「数ヶ月前の体調不良のせいで、ちょっと爪が弱っていたので、そこで折れてしまったようです」
 医者はクルリと後ろを向いて、鞄の中から携帯の箸を取り出すと、私が持参した爪をつまみあげた。
「これは、そんな最近の理由で剥がれたわけじゃないでしょう」
「だから数ヶ月前に栄養不足だったんです」
 医者は箸の先の爪をライトにかざして観察している。それを広げたガーゼの上に置くと、今度は看護婦に、何かを指示した。看護婦は黙って一度消えると、練り歯磨き粉のようなチューブを持ってきた。医者は床をみつめた。
「これは、鱗です」
 医者はそう言いながら、床にかがみ込むと、私の剥がれた鱗を拾い始めた。診療室の床には、鱗が何十枚も落ちていた。看護婦も黙って、菜箸で鱗を拾った。菜箸の方が長いので、看護婦の方が姿勢は楽そうだった。鱗拾いを看護婦にまかせて、医者は持って来させたチューブのふたをひねった。
「この接着剤が良いのですよ」
「接着剤なんか、嫌です」
「大丈夫。これは有機溶剤を使用していますから。あなたの肉体は、有機物でしょう? 弱酸性が肌に優しいというのと一緒です」
「一緒ではありません」
「元通りに戻りますよ」
「魚に戻りたくはありません」
「大丈夫。鱗は下半身だけ貼り戻してあげます」
「人魚になっても、海の泡にはなれません」
「それなら、私が契約を交わしてあげます」
 私は黙った。医者は鱗を一枚、箸でつまみ上げ、チューブの接着剤を絞り出した。
 私は言った。
「…ありがとう」
 医者は言った。
「これが仕事ですから」


(1000文字)

サイト短編 第64期に投稿させていただきました。
posted by わたなべ かおる at 18:17| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月16日

セブンブリッジの話を繰り返した夜

山口だからやまちゃん。
あだ名は、ずっとそれだ。

だが、あなたがたは、
私の名を、知らない。
誰一人、問うたことさえ、ない。

「やまちゃん、来れないのかよー」
「すみませーん! 行きたかったんですけど、どうしても仕事休めなくて…また誘っていただけますか?」
「うんじゃあ、今度はやまちゃんの都合で計画するからさあ」
「ありがとうございますv ホント、すみません!」
「いいよいいよ。でも、いないとつまんないよー」
「また今度、ぜひゆっくり!」
「うん、そうだね」
「はいv」

いつから、人間を演じるようになったのだろう。
それとも、これは本当の私なんだろうか。

「前田くん、そこまで」
「……」
「自分では、もっとちゃんとできると思ってたでしょ」
「…いえ、そんなこ──」
「だったらどうして台本3回しか読んでない?」
「……」
「…思った以上に難しかったでしょ?」
「………はい」
「そう。難しいんだよ。別に、あなたがね、手を抜いたとか、そんなことは思ってないよ」
「……」
「一生懸命、3回も読んだ。そうでしょ?」
「……はい」
「そう。…だけど、うまくできなかった」
「………はい」
「そう。それでいいの。今、そうやってやってみて、想像以上に難しいってことがわかったんなら、それでひとつ、わかったじゃん」
「……」
「…くやしいだろ?」
「……」
「できると思って、できなくて、くやしいだろ?」
「……はい」
「もっと練習すればよかった、って、思ってるだろ?」
「はい」
「くやしいだろ?」
「はい!」
「よし。来週、もう一回見るから」
「よろしくお願いします! ありがとうございます!」
「うん。いいよ。はい、次、誰?」

私は私なんだろうか。
どれが私なんだろうか。
為したことだけが評価されるのなら、
私の中でくすぶっているものは、私ではないのだろうか。

「…人が思ってる私と、自分が思ってる自分が、違うんだよね」
「それは誰だってそうなんじゃない?」
それ以上、会話を続けることができない。
これだけの違和感を抱えて、人は日々、生きているというのか?
こんなにも膨大な混乱と自己嫌悪の渦の中で、誰も彼もが生きているというのか?

なれば──人生など、
続ける意味がない。


「やま、お待たせ」
「うん」
「どうした?」
「いや、ちょっと、イライラして」
「そっか」
「うん。あ、そういえばさ、」

話すうちに、機嫌が直る。

「それ、あたしだったのにさあ。ね。(笑)」
「うん。それ、何度も聞いた」
感情が再び急降下する。
「…何度も聞いたから楽しくない?」
「ううん」
その根気が救いだ。だが。
「あんたの感想がないからだよ」
「そっか」
「何て思うの?」
「うーん」
その感想のなさが、何を話そうとも受け入れる許容力。
「ただ、私のワンエピソード、ってかんじなわけね?」
「うん」
わかっていても、つらい夜もある。
「なんかないの?」
「うーん」
認識が欲しい。
それがどんなものであれ。
「あたしが話すとさ、声デカいのもあるんだろうけどさ、みんな見るんだよね」
「うん」
「でさ、笑うんだよね」
「うん」
「面白いのかね?」
「じゃない?」
「あたし、なんでセブンブリッジの話、何度も話すんだろう? どんなふうに話してる?」
「よっぽど楽しかったんだろうな、って」

最も近しい者でさえ。

「…そうか。」
「うん」
「痛快だった、ってかんじか」
「うん。自分だったんだよね、っていうのが」
最後のオチは、あくまでもネタじゃないか。
「あたしってさ、面白くって豪快で行動力あるって見えるんだね?」
「だと思う」
「痛快だった、ざまー、ってかんじに聞こえるんだ?」
「うん。ざまー、とは思わないけど」

お前以外の誰が、私を記憶し得るだろう。

「あたし、あんとき、悲しかったんだけどな」

私を語り伝えたいと思わせる、お前への信頼とは、何なのだろう。

「…そっか」
「うん」

あのとき、お前と私を引き合わせたものは、何だったのか。
それが神であれ悪魔であれ運命であれ、
お前のおかげで私は呼吸を続けられる。
私という意識をこの世に留めたものは、
その目的を達成したのだろうか。

「きっとこれでもう、セブンブリッジの話するときは、途中で『前にも話したね』って言うよ」
「そっか」
「もしくは最後まで話して『…ていうかこの話何度もしてるね』って言うね。って最後まで思い出さないんか(笑)」
「(笑)」

夜の中で問い続ける。
私という意識をこの世に留めたものは、
その目的を達成したのだろうか。
posted by わたなべ かおる at 23:43| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月08日

八重のクチナシ

 八重のクチナシは実をつけない。それは八重のヤマブキが実をつけないのと同じく常識的なことだ。理由は知らない。
 うちの庭には八重のクチナシしかない。お隣の広い庭には一重のクチナシがあって、おせち作りの頃に、その実をもらうようになって、今年で3年目だった。
「ひとつあれば、栗きんとんが作れるのにねぇ」
 栗きんとんとは言うが、我が家で作るきんとんは、サツマイモを裏ごししたものだ。栗よりも水分が多いサツマイモは、栗で作るよりもずっとなめらかで、裏ごしさえすれば舌触りも良く、とてもおいしい。その鮮やかな黄色を出すために、天然着色料として、クチナシの実を使う。
 買えば済むのだが、庭にクチナシがありながら実らないというのが、やはり少し残念なのだろう。ペパーミントやレモングラスなどのハーブはもちろん、ときにはプチトマトまで育てて収穫を楽しむ母のことだ。八重のクチナシは、確かに花は美しいが、最近では緑色の大きなイモムシが葉を食い散らかして、その対応に少し閉口しているらしい。
「切っちゃおうかしら」
 そんな心にもないことを、と思うが、もしかしたら本気かもしれない。花が大好きな母だが、枯れ始めた切り花を捨てる潔さは、本当に好きなのかと疑いたくなるほどだ。グロテスクなイモムシを一掃するために、クチナシを株ごと抜いてしまっても不思議はない。そういえば、十年ほど前に、カミキリムシの巣と化したイチジクの木を切り倒す決断を下したのも、父ではなく母だった。
「でも、八重は実らないんだよ。ヤマブキだってそうじゃん?」
 私は必死で、けれどさりげなく、フォローしてみる。
「そうねぇ」
 そんなことを言っても、母は、切ると決めたらきっと切るだろう。
 私はそれ以上、何も言わなかった。

 その年の秋に、奇跡起きた。
 我が家のクチナシが、実を結んだのだ。
 たったひとつ。けれど確かに、八重のクチナシに実がなっていた。最初は半信半疑だったが、日に日にふくらんでくる実を、母はとても喜んだ。
 私は、こんなことがあり得るのかと、理科の先生に訊いてみた。
「お母様の愛情が、クチナシにまで届いたのね」
 夢見る乙女のような理科教師は、本気とも冗談ともつかぬことを言った。
 ──私には、愛情というよりも、執念に思えます。
 喉まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。

 結局、八重のクチナシは切られることはなかった。
 だがその後、実をつけたことも、ない。



(1000文字)

16:22 2006/07/22 初稿
22:43 2007/12/08 1000文字化

*** サイト「短編」第63期に投稿させていただきました ***
posted by わたなべ かおる at 22:47| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月01日

何もないズレ

 気付いたら8年が経っていた。漠然と過ごせば、人生なんてそんなものなのかもしれない。それにしても8年と言ったら小学1年生がそろそろ中学も卒業するほどの年月だ。高校生のときに、社会人になると毎年が同じ繰り返しで、あっという間に時間が過ぎるよ、と言われたときには、そんなもんか、と思ったけれど。
 でも、私のこの8年間は、決して毎年同じ繰り返しというわけではなかった。毎年、新しいアシスタント先が増えたり、減ったり。それを繰り返しだと言えばそう言えなくもないけれど、とにかく目まぐるしく変わる状況の変化に、なんとか追いつきながら目の前に出された仕事の山を片付けて回っていたら、いつの間にか8年が過ぎていた。もちろん、来年は20代最後の年だというのに、まだ実家を出ることすらできないふがいなさを、こんなことで言い訳するつもりはない。
 ふがいない。
 私には、何もないのだ。

 高校を卒業してから漫画の専門学校に通った。親にとやかく言われたくはないから、高校生のうちにアルバイトをして学費は稼いだ。あの頃が一番、自立していたと思う。もちろん、家を出るところまではいかなかったけれど、それでもバイトをしながら家事まで手伝っていた。それが当たり前だった。
 どこで軌道が狂ったのだろう。
 あの頃の私が、今の私を見たら、きっと憤慨して怒鳴り散らすだろう。わかってる。あなたは、こんな私になるために、自分でお金を貯めてまで、専門学校へ進学したわけじゃない。けれど、あなたはその先の未来を知らない。
 お話を考えるのが好きだったあなたは、漫画家として身を立てようと計画した。それは、半分は正解だったよ。けれど、専門学校で思い知ったのは、絵を描くのは思ったよりも大変だということ。そう、中学生のときも高校生のときも、私は漫画を描いていなかった。そんなやつがどうして漫画家なんかになろうとしたのか? そう。それは、私も覚えてる。それは私達だけの秘密だ。
 それでも、専門学校で、私は建物と乗り物は描けるようになった。ただ、どうしても、人物が思うように描けない。人物の描けない漫画家なんて。入学してすぐに、そのことに気付いた私は、アシスタントの道を考えた。とにかく、私の目的は、漫画の周辺に生きること。だから、アシスタントとして重宝がられるであろう、建物と乗り物を描く技術をとことん磨いた。もともと、どちらも眺めるのは好きだったから、資料とにらめっこしながら描くのは、さほど苦じゃなかった。だいたい、私には他に選択肢がなかったのだから。他に、生きる道はなかったのだから。
 そして、在学中から少しずつ、専門学校が斡旋してくれる単発の仕事を引き受けながら、私は仕事先を考えていった。これと思う先生との出会いがあれば、専属のアシスタントになっても良いと思いつつも、それはないだろうと想像していた。だから、卒業してからも単発の仕事をしながら、他の先生のアシスタントも紹介してもらえるように、愛想を撒くことだけは覚えた。これはわりと、うまい計画だった。色々な先生が、他の先生に私を宣伝してくれた。私も、紹介された仕事はいやがらずに引き受けた。どんな先生であっても、笑顔で相手のペースに合わせた。お茶を淹れるように言う先生も、別に構わない。おしゃべりが多くて、締切間際に切羽詰まってパニックになる先生も構わない。問題は、私の愛想笑いを勘違いして、言い寄ってくる男の先生だった。

 基本的に、漫画を描く現場には、何人ものアシスタントが入る。特に私は人物を描けないから、人物を担当するアシさんが必ずいる。そして、仕事のあとに打ち上げだと言われれば、行くしかない。次の仕事のこともあるからだ。
「飲みなら、打ち合わせの経費ってことにできるからさ」
 人件費だって経費じゃないんですか、飲みじゃなくてギャラ上乗せしてください、なんて、野暮なことを言ったら終わりだ。この前、NHKの特集番組で、派遣社員は便利な不倫対象だと思われてる、なんて体験談を紹介していた。断れば、クビだと脅される。派遣なんて、代わりはいくらでもいるんだよ。あからさまにそう言われるのだ、と。能力の低い社員ほど、派遣イジメで憂さを晴らすのだ、と。セクハラ、パワハラ、当たり前。世の中、おかしい。おかしいと思う私がおかしいと言われたら、死ぬしかない。そう思いながらも、死ぬわけにはいかないから、世の中との妥協のラインを探りながら、どうにか生きてきた。
 それなのに。

「プロになる気はないの?」
 私の正面に座った神田先生は、乾杯の直後、いきなりそう切り込んできた。
「私が人物描けないの、先生だってご存知じゃないですか(笑)」
 ビールをごくごくと中ジョッキの半分ほど一気に飲み干しただけで、まだ箸を割らない先生に、私は手を膝に置いたままで答えた。
「でも、専門学校通ってたんでしょ?」
「そのときに、ムリだって気付いたんです」
「そんなの、練習すればいいじゃん」
 ……神田先生は、わかっていない。
 それは、仕方のないことで、当たり前のことで、至極もっともなことで。けれど私には、神田先生の言葉は、とてもデリカシーがないように思えた。
 私は冷静さを装って答えた。
「それより、得意な建物と乗り物を極めたほうがいい、って思ったんです」
「これからどうするの?」
 先生には関係ありません。
「さあ……どうしましょう?(笑)」
「結婚は?」
 ──それこそ、ほんとうに、かんけいない。
「先生、その質問はセクハラですよ(笑)」
「あー、そうかそうか。最近はいろいろうるさいよなあ」
 ……お前みたいなのが多いからだよ。
 心の中で毒づいた。仕事中の神田先生は、こんなふうにプライベートをあれこれ言ってくることはなかった。酒の席というだけで、人間、ここまで変わるものなのか。いや、今までの打ち上げでは、こんなことはなかった。
「あっれー? 先生、渡辺さんのこと、口説いてるんですかー?」
 先生の隣に陣取った知美さんが、先生に軽くボディーアタックしながら言った。彼女はアシさんたちの中でも、たぶん最年長で、ようは無視してはいけない存在だ。私は笑いながら弁解した。
「違いますよー(笑)」
 すると驚いたことに、先生が、真顔で言った。
「プロにならないか、って説得してんの」
 その表情に気付かなかったらしく、知美さんは、更に先生にしなだれかかった。
「えー、先生、それなら私のプロデビューに協力してくださいよー」
「あ、そう。そんなに僕のアシスタント、辞めたい?」
 神田先生は知美さんの顔も見ずに、箸を割りながらそう言った。
「えっ……そういう意味じゃなくて……」
 知美さんも、先生の様子にやっと気付いたらしい。私はフォローに回った。
「じゃあ、知美さんと私で組ませていただくとか(笑)」
「あっ、渡辺さん、いい背景描くもんねー! じゃあ先生、私、渡辺さんいただいていきますね〜」
 知美さんは機転が利く。先生に取り入るためには、私に取り入ったほうがいい、と判断したらしい。その計算が、知美さんの目の奥で光っていた。
 本心でない言葉を言うときの人間の目。
 私は目を逸らして、自分の箸を割った。
「じゃあどこに売り込むか考えないとね〜! ねぇねぇ、みゆきちゃん、どっかいいトコない?」
 急に知美さんに話しかけられたみゆきさんは、びっくりしながらも知美さんの相手をした。
「え? 二次会の店ですか?」
「違う違う、漫画のね……」
 私は、なんとか笑顔を保とうとしながら、お通しをつまんだ。顔をあげられない。神田先生も、知美さんも、見たくない。
 今後、神田先生のアシスタントはお断りしよう。そう決心を固めつつあった私の耳に、先生の声が忍び寄るように届いた。
「僕、U専門学校の作品集、見たよ。XX年度版」
「……え?」
 それは、一年生の時に、私が唯一描きあげた16ページのストーリー漫画が掲載されている作品集だった。
「僕、ああいうの、いいと思う」
 その声が、いつになく真剣だった。
 もっと軽く、「いいんじゃん?」とでも言われたなら、笑って受け流したのに。
 神田先生は、私の目を見ずに、呟くように、独り言のように、真剣な声で、そう言った。
 それはまるで、悔しがっているようにさえ、聞こえた。

 およそ創作的な仕事には、人となりが現れる。それに加えて、私は、たとえレジ打ちの人であっても、人柄が気になる。相手の強引さ、臆病さ、繊細さ、優しさ。神経質か、大ざっぱか。それも、見た目の印象ではなく、言葉の向こうに埋もれるような、些細なかけらを拾い集めて、私なりに目の前の人物を分析する。
 それは癖みたいなものだった。そのせいで、一発で嫌われることもある。そしてなぜか、逆に、ものすごく好かれることもある。神田先生は、甘えと強引さのバランスがギリギリだった。もちろん、私の許容できるギリギリという意味であって、他の人がどう思うかは知らない。そのバランスが作品にも現れていて、少し読者に寄りかかるようなところは、太宰治の『人間失格』の作風を思わせた。読者に語りかけるような口調のため、読者は、作家に、まるで自分だけが告白されているような錯覚に陥る、と、何かの書評で読んだことがある。神田先生の作風は、その書評を思い出させた。
 ……ギャグがメインの学園モノ少年マンガに、そんな書評を思い出すのは私くらいだろう。
 だが、表面がどうあれ、メッセージが何か、ということ。
 それ以外、見る気はない。

 神田先生は、残りのビールを一口だけ飲むと、また呟くように言った。
「古いって言う人はいるだろうけど、それを言ったら時代劇は成り立たない」
 私の描いた漫画は、携帯電話もない時代の、淡い恋愛漫画のような話だった。恋愛未満でしかない、ほのかな想いを伝えきれずに、という、まさにありきたりの話。
「ありきたりな話です」
「ありきたりを求めてる人は、いっぱいいるよ」
 私のほうが、先生を見ていた。今日まで数回アシスタントをしてきたのは、それなりに神田先生の作風が好きだからだ。その先生が、私の作品を認めてくれてる。そう思うと、素直に嬉しかった。
「例えばね、宣伝漫画とか」
 ……私は耳を疑った。
「レポート漫画とかさ。人物の表情なんて、そんなに必要ないし。渡辺さん、観察して描くの、好きでしょ?」
「はい」
 それは確かにそうだった。けれどそれは……一般的に、漫画家と呼ぶんだろうか。
「まず稼げなきゃ話んなんないでしょ。単発のアシスタントだけで、結婚する気もないんじゃ、生活考えないと」
「それはそうですけど」
 作品が良い、と言ってくれたことは、何だったのだろう。私の伝えたいメッセージは、普通の漫画家として通用するものじゃない、ということなのか。この世界でやっていくのはあきらめろ、ということなのか。
「まずね、新人賞に応募して。審査員が、どんなところ見るか、教えてあげるから。一次通過ねらいでいいんだよ。それが通ったら、レポート漫画の描き手に応募する。一次通過の経歴があれば、ただの素人よりずっと通りやすい。これでもう、仕事は手に入れたも同然」
 漫画の周辺で、食っていく。
 そう決めたのだから、神田先生の提案は、とても素晴らしく思えた。私の実力を見抜いて、無理のない範囲で、けれど確実な道を選ぶ。
 策士だ、と思った。
「……その道がありましたか!」
「そうだよ」
 私の声には、少なからず感嘆の響きが含まれていた。それは私の部分的な本心だった。これまでの神田先生の穏和な人柄、決して嫌いではない作風、私の作品を良いと言ったときの隠しようのない何か。そうしたものをふまえて、そのうえでの現実的な提案であるのなら。
 そう思いながら、次の瞬間には、強烈な違和感に襲われた。その道がありましたか、と言葉にした途端、私の中で言いようのない反発が膨れ上がった。
 その違和感を、そのまま口にしたところで、通じるはずはない。私は、同意した感情と、断ろうという判断と、今後もアシスタントを引き受けるか否かという迷いとを、慎重に調合しながら言葉を選んだ。
「あ……でもやっぱり、人物はある程度、描けないと……」
「練習したらいい。僕が見てあげるから」
 神田先生は、かなり強引だった。それがさらに、私を警戒させた。
「いえ、そんな、ご迷惑はかけられません」
「いいからやってごらんよ!」
 そう言って神田先生が──私の手首を掴んだ。


  私に触れ得る者は、私が選ぶ。
  それが人としての尊厳というものだ。
  いいじゃないか、と済し崩しに寄りかかる者は、
  己の魂を自ら傷付けていると悟れ。


 私は、椅子ごと身を引いた。作品を誉められたことも、私の将来を心配してくれたことも、それどころか、これまでの仕事で背景や乗り物の画力を誉められたことさえ、嘘に思えた。さらには、先生の作品、作風、そのギリギリのバランスであった神田先生のイメージさえも、大きく傾いた。すべてが嫌悪の対象だった。
 初めから、信じるに値しない人間であるならば、隙を見せたりはしなかったものを。
 こんな形で裏切られるとは。
 嫌悪。
 止めようがない。

 それでも、まさか十代の頃のような、あからさまな拒絶を示すわけにはいかなかった。手首を掴まれたくらいで、そんな反応をすれば、過剰反応だと言われるのはわかっている。世の中の認識はそういうものなのだ。受け入れるわけではなくとも、知識としてそう認識するまでに数年かかった。世の中の基準と自分の基準のズレは埋めようがない。埋められないズレを、どうにか綱渡りして、ここまで……ここまで、どうにか、やってきたのだから。
 ……胃が痛い。
 飲むどころではない。
 それでも、それが世の中。

 またひとつ、アシスタント先が、変わるだけだ。



(5736文字)



参考:

NHKスペシャル 「1000人にきく ハケンの本音」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/071112.html
携帯版
http://www.nhk.or.jp/omoban/k/1112_2.html


セクハラ・パワハラ 対策・定義など

セクハラ(セクシャルハラスメント)
http://sekuhara.nobody.jp/
http://www.roudou.net/sekuhr.htm
http://www.morahara.com/text/whatsexhara.html
http://www.geocities.jp/tomato3171/page015.html
http://110sekuhara.com/

パワハラ(パワーハラスメント)
http://www.morahara.com/text/whatpawahara.html
http://www.jinken-net.com/tisiki/ti_0504.html
http://www.pawahara.net/
http://s-p.web.infoseek.co.jp/
posted by わたなべ かおる at 19:37| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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