2010年11月08日

彼女の作ったおかしとノートと

 今日は朝っぱらから女の子を泣かせてしまった。
 アダルト・チルドレンだと自覚した(診断を受けてはいないものの、まず間違いないだろう)人間に、薄氷を踏む思いで対応するのが面倒になり、こちらの素直な不快感のままに言葉を連ねたら泣いてしまった。
 それでも、そんなふうに感情を、特に負の感情をあらわにすることができるほどに回復していることに驚いた。あとから気付いて驚いた。
 何がそこまで彼女を動かしたのか……処方箋が知りたい。

 昨日は友人たちを呼んで、おやつを作り、皆で食べたのだ。私も参加しようと思っていたが、仕事が終わらず、彼女の部屋に着いたのは夜だった。
 久しぶりに泊まりに来た私に、「テレビでやってたから始めてみたの」と彼女が見せてくれた一冊のノート。彼女の文字で、『自分を誉めようノート』という、あからさまなタイトルと、『1日10個、自分を誉めよう☆』という注意書きがなされている。
「怒られてばっかりだったんだな、って」
 ……そうだ。かいつまんで聞いた彼女の生育歴には、”叱られた”という表現は妥当ではない、”怒られた”歴史が色濃く、影を落としている。
「でもねぇ……反省文になっちゃうの」
 笑いながら話す彼女に、いまさら痛ましさを感じることさえできない。いつの頃からか、私は事実をただ事実として淡々と受け止めるだけになった。過度な同調より、甘やかしより、正常値をこちらが維持することの効用。ひいては、それを彼女が受け止められるところまで回復したという現実。

 それでも、私の強い言葉に、悲しい気持ちを持ち、素直に泣く彼女。
 だが……その変化。

 昨日のおやつパーティーで作ったというおかしを、私が持って行って食べると言ったら「おいしくないよ」と言ったのだ。それでもなお、私が気にせず持って出ようとしたら、「上手にできなくてすみません」と重ねて言うから私はキレた。どうして人がもらっていこうとしてるものを、そうやって言うのか、と。私は食べたいから持って行こうとしている。別に彼女に気を遣っているわけじゃない。なのに何度も何度もそうして詫びる。意味なく詫びる。それが彼女の癖だと知っていながら、今までにない不快感を感じた。その感情のままに私は言葉を発していた。
 みるみるうちに彼女の目に涙がたまり、そしてあふれた。
 彼女は悪くない。そして私も悪くない。
 彼女の傷付きすぎている心が、何でもないことを攻撃として受け止める。彼女の満足できない料理を私が食べることさえも攻撃として受け止める。奇妙な話だ。おいしくない、と拒絶したら傷付く、というのならまだわかる。そうではなく、自分の失敗作を人が引き受けようとすること自体が、自分が失敗作を作ったのだということを攻撃されていると取る。だったらいっそ、こっそりと捨ててしまえばいいのに、彼女にはそれすらもできない。物に八つ当たりするような、そんな行動は、到底選択できない。
 そして私は私で、喜んで食べようとしているものを詫びられて少なからず傷付いている。パーティーに参加したかったという愚痴さえも口にしないで、参加できなかった寂しさを胸に隠しているうえにもってきて、おかしを密かにワクワクして受け取ろうとしているのに、その肝心のおかしに難癖をつけられて傷付いている。
 その私の素直な感情を隠さなかったこと。
 そして彼女もまた、素直に悲しい気持ちを涙に替えたこと。

 思いがけない彼女の涙に、私の対応も少し変化した。とにかく泣かせたのは事実だから「ごめん」と言った。お互い、子どものようなやりとりだ。彼女は、少し口をとがらせて、「自分が納得してないから、すみません、って言っただけじゃん」と、再び自分の主張をした。
 私はそれを受けて、「今度また納得いくもの作ってね」と言った。それに対する彼女の反応が興味深かった。「やだ」と言ったのだ。「やだ」。駄々っ子のようだ。思わず「どうしてそんないじけるの」と言ってしまったが、彼女の「やだ」という反応はとても大切だった。すぐに泣き出したことと同じく、大切だった。あとからつくづくそう思った。
 どうしていじけるの、と言われたって、彼女は常にいじけてるのだ。常に常に常にいじけているのだ。だからこそ防御のために「すみません」と言うのだ。謝っていれば許されるから。違う、逆だ。常に常に常に許しを請うている。許しを請うても請うても許されないと思っている。だからこそ常に常に常に常に詫びている。
 だから「やだ」というのは彼女の素直な、「もうがんばりたくない」という、「詫びてまで生きたくない」という、本当に素直な気持ちで、それがそんなふうに即座に言葉になるなんて、本当にどんな薬が効いたのだろう。

 私は出かける前にもう一度「ごめんね」と言って、彼女を抱きしめた。それは自然な流れだった。いつになく自然な流れだった。彼女は最初、ただ突っ立ってハグされるままだったが、そのうち自然と私の背中に両腕を回した。これも驚きだった。私は言った。
「みんなが食べたもの、私も食べたかったんだよ」
 なぜ過去形なんだろう、と自問しながら。
 それは胸にしまっておいた。

 私は私で、混乱のさなかだ。
 仕事の準備はできていないし、冬は相変わらず皮膚にまとわりついている。昨夜は風呂に入っていても、湯や明かりが皮膚を刺して、湯船にこごめず呻いていた。
 それでも今朝は、ひんやりとした空気が心地良い。


 不安定な人間は、不安定な人間を決して頼らない。
 不安定の底知れなさを熟知しているから。
 共倒れの危険を、よくわかっているから。

 安定している人間もまた、不安定な人間を頼らない。
 不安定な人間の、ぼんやりとした危険を、異質なものとして直感するから。

 だから私は、不安定な彼女を支えるためにも、
 非常に安定している憧れを支えるためにも、
 私自身が安定するほかない。

 どうしたら私自身が安定するのか、わからない。
 それでも今朝、抱きしめた彼女が私の背中に両腕を回してきた。
 それは私が頼るに足るほどに安定した証ではないだろうか。


 夜のうちに、彼女のノートに私は一枚のメモを挟んでおいた。
 感謝の言葉を素直に口にする、彼女の笑顔を想いながら。

『うれしかったことを、
 毎日、書いたらどうかな。
 ありがとう、ってことを、
 書いたらどうかな。

 いっぱい感謝できる、
 素敵なあなたが、
 そこにいるよ。』

 あのメモを、彼女はいつ、目にするだろう、と思いながら。
 移動の列車の中で、今日の仕事の構想を練る。



(2,660文字)



<メモ>
*シチュエーション作るのが面倒。書きたいやりとりしか頭にない。例えば「私」の仕事を設定するのが面倒。彼女の名前を設定するのが面倒。「私」の性別設定さえ面倒。だから小説に成らん。でも仕事なんて自分の仕事を充てて、自分の物語として読者が読んでくれたらいいと思ってしまう。
posted by わたなべ かおる at 22:40| 創作・文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする